当社運営のミュージアムショップでお取り扱いさせていただいている作家さん、職⼈さんの⼿仕事にふれる読みものです。
今回は、富⼭市の隣の舟橋村にある吉田薫さんの工房を訪ねて、お話を伺いました。前回の池田充章さんと同じく、富⼭市ガラス美術館ミュージアムショップにて常時作品を扱っており、富山のガラスシーンを牽引する代表的作家のお一人です。
作家としての活動のほか、ガラス教室を運営したり、梨農家に変身したり(⁉︎)、多彩な顔を持つ吉田さんの、ガラスとの出会いや作品作りで大切にしていることなどを、動画を交えてご紹介いたします。
−ガラスを始めたのはいつですか?
元々ものづくりは好きで、大学は美術科に進んで木工を専攻していました。
その後美術教材会社に勤めたのち結婚して、ちょうど長男の子育て中の26歳の頃、ガラスに出会いました。富山市市民大学にガラス工芸コースが新設されて、それまで木彫や版画はやったことがあったけれど、ガラスには触ったことなくて程遠い世界というイメージだったので、興味を持ったんです。でも大人気のコースで、3回目の申込みでやっと入ることができて、週1回のコースに3年ほど通いました。ただ、場所の都合で吹きガラスはできず、サンドブラストや切子などの加工がメインでした。
同じ講座に参加されていたのはちょっと年配の女性が多く、みなさん綺麗で可愛いものをお作りになっていて…。
そんな中、ひとり変なものばかり作っていたので、そんな様子を見て講師の先生(元富山ガラス工房館長の野田雄一氏)が、「ガラスの学校できるんだけど、入ってみたら?」とお声掛けいただいたんです。
−研究所に入って、初めての吹きガラスはいかがでしたか?
入学したけれど、まだ研究所が完成していなかったので、近くの中学校の図工室を使って、石膏型を作ったり、デッサンやバーナーワークなどをしたりして、6月にようやく窯が完成したんです。けれど、海外から招いた講師は11月まで来なかったので、結局ほとんどの時間を、経験者が自分のできることを皆に共有する形で、ガラスの知識をつけていきました。
吹きガラスの最初の感想は、
「とにかく熱い! ひたすら熱い! 腕が熱い!」
ですね。こんなに熱いものなんだと驚きました。
−ガラスのどんなところに魅力を感じますか?
透明にも、不透明にもなる、ガラスのさまざまな表情に惹かれています。
それから、これほど意図しない方向に自由に流れていく素材というものにはじめて出会って、まるで生きているかのような動きに魅了されました。
今でも毎回、意図しない方にいってますよ(笑)。ほんっとうに吹きガラスって難しいなって思います。
−ガラス以外の素材を使う(組み合わせる)ことはありますか?
真鍮と組み合わせたオブジェや、銅線や陶芸を用いた作品などつくりますね。
いずれガラスをやめたら、陶芸をやりたいなと思っています。どちらかというと自分で異素材も製作するというよりは、異素材の作家さんとのとコラボは好きですね。異素材作家さんと展示会に一緒に出たりするのも楽しいです。
−今まで制作した中で、一番印象深い作品はありますか?
印象深いというか、一番苦しんだのは、富山ガラス研究所の卒業制作ですね。
途中の講評会では「もうガラス辞めれば?」なんて滅茶苦茶に酷評されて、半年後に卒業するのにどうしよう、と自信をなくしかけました。それでもクリアガラスを細く糸状に引いて、溶着したり曲げたりすることを思いつき、なんとか完成に漕ぎ着けました。
それが今も使っている技法で、飴細工のような繊細な模様がつけられます。苦労して産んだ、表現の一つですね。
−梨農家とガラス作家の兼業⁉️
うちね、家が梨農家なんですよ。だから、7月から11月の間は窯の火を落として、梨の収穫作業に専念します。本当は燃料のチャージの回数が多いと窯が傷むんだけど、こればかりは仕方ないからね。
そうそう、これ、梨のケース(笑)。作品を入れるのにちょうど良くって。思わぬところで活用しています。梨モチーフの作品をつくることもありますよ。
窯の火を落としている間は、吹きガラス教室の内容もちょっと変えて、スランピングという技法で小皿を作る「小皿の会」をやったりして、いろいろなガラスの体験をしてもらっていますね。
*スランピング:型(モールド)の上にガラスを置き、熱を加えてガラスを柔らかくし、ガラス自身の重みで型の形に形成する技法。
−ガラス制作をするときの服装は?
私の場合は、タンクトップに、母の手作りの張り感のあるパンツ。すごくラフです。特に夏は暑くて汗をかくので、肌に張り付かない涼しい服が作業着に最適です。それに、ガーゼハンカチをおでこに巻いて、腕抜きをつけます。本当は長袖じゃなきゃダメかもしれないけれど、どうしても脇が塞がれるのが苦手で、タンクトップでやっています。
制作前には、痛めた指のテーピングに始まり、一人で作業するので、最初にすべて用意するように心がけています。
−ガラス美術館が富山にできて、変化したことってありますか?
まず、観光客が増えましたよね。
ガラス美術館の入っている富山キラリが建築家・隈研吾さんのデザインであること。そしてそこに、富山ならではのガラス美術館がはいったこと。この相乗効果によって、街に活気が生まれたと思います。
そして、作家側からすると、展示販売できる場所ができて販路が増えました。さらにコロナ禍を経て、手作りのもの、手間暇のかかっているものの価値が見出されて、値段が高くても良いもの、オンリーワンのものをお求めになるお客様が増えた気がします。富山の観光需要も上がっていますし、より、ガラスの街として発展して欲しいですね。
とてもしなやかで、自由な空気を纏った吉田さん。作品にもその優しさが出ているように思います。気負いすぎない、おおらかな眼差しで、富山のガラスシーンを見守っている気がしました。私も富山に住んでいたら、吉田さんのガラス教室に通いたいなぁと、羨ましく思いました。
【吉田薫さん経歴】
1993 富山ガラス造形研究所 造形科 卒業
1994 富山ガラス造形研究所 研究科 修了
1994 富山ガラス造形研究所 研究科 助手(~ 1996)
1996 Penland School of Craft にてガラス作家キャピィ・トンプソンのアシスタント
1997 個人工房GLASS FACTORY K's studio開設
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