【手わざを訪ねて】Vol.13 山田祐治さん/木彫り作家「木彫りクマに込めた自然の恵みへの感謝」
- 広報:大関
- 3 日前
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当社運営のミュージアムショップでお取り扱いさせていただいている作家さん、職人さんの手仕事にふれる読みものです。
開館5周年を迎えた国立アイヌ民族博物館のミュージアムショップでは、アイヌ工芸作家さんの作品を多数お取り扱いさせていただいています。木彫りや刺繍、編み物、楽器や籠など、温かみと手間が感じられる作品が並び、多くのお客様にアイヌ文化に触れた思い出として、お買い求めいただいています。

北海道土産の定番ともいえるクマの木彫り。ミュージアムショップでも木彫りの置き物は、アイヌ民族の男性の手しごと作品として人気です。今回は、白老で親子2代で木彫り作品を作る、やまだ民芸社の山田祐治さんに、素材や作り方などのお話をお聞きしました。
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<アイヌ工芸作家 インタビュー>
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<ウポポイ開業5周年特集ラインナップ>
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ーいつごろから木彫りを始めたのですか?
小学生の頃から親父に教わって、小さいクマのお面をつくっていました。習うというより、もっと身近な感覚でしたね。材料も道具もすぐそばにありましたし。中学生になると手伝いが嫌になって、逃げ回ってサボっていましたけど、高校卒業と同時に、当たり前のように親父が営む「やまだ民芸社」に入社しました。小さい時は教えてくれたけど、仕事となったらどうやって彫るかなんて教えてくれないんですよ。見て覚える世界だよね。
ー代々、木彫りをご商売にされていたのですか?
いや。白老でもここら辺は漁師町でね、父も漁師だったんです。30代後半になって木彫りの世界に入ったそうです。私が物心ついた頃は、ちょうど転職したてだったんだと思います。
当時は街の中心に白老アイヌコタン(コタン=集落)があって、そこで木彫りとアイヌ民芸のお店を始めたんです。やがてアイヌコタンにお客さんが大勢来るようになって、でも駐車場もなくて観光バスが停められないということで、1965年に今のウポポイがあるポロト湖にコタンが移されたんです。

ーお父様は転職されたんですね。木彫りにはこの木、というふうに素材の種類や産地に決まりはあるのでしょうか? 手に入りにくくなったりしていますか?
イチイ、エンジュ、キハダ、センノキ、シナノキなどを使います。特に絶対これというのはありません。昔は道路を作るために山を切り開いたから、木材が豊富に手に入りました。今はもう大きな道路を作ることも少ないし、取りやすいところの木はみんな切っちゃったしね。売り物にならないような細い木を木工所から譲ってもらって、材料を手に入れています。
ーなるほど、開発には伐採がつきものですが、それによって材料も潤沢に手に入っていたんですね。開発と手工芸がつながっているという視点が今までなかったので、驚きました。
山田さんはずっと白老在住ということですが、街は変わりましたか?
変わったねぇ。ポロトコタンができた当時は、両脇に50軒を超えるお土産店や民芸品店が並んで、それは賑やかでした。みんな同じものを売っているんだけど、それでも売れるんだ(笑)。来客者数も最盛期の1991年には87万人を記録して。白老もバブルだったね。

でも次第に減っていって、ウポポイができるということでポロトコタンが2018年に閉館になる時点では、お土産店も13軒まで減って。木彫り品を作って売るのはうちだけで、あとの店は仕入れ品を扱っていてね。今、ウポポイの年間来客者数は31万人くらいかな。もっとたくさんに人に来ていただけるようにしたいね。
ー私の母が高校生の時に白老アイヌコタンを訪ねていて、木彫りの人形をお土産に買ったそうです。今でも実家に飾ってあります。
ああ、そう。賑やかだった頃をご覧になっているんですね。
当時は、木彫りのクマとニポポ人形とキーホルダーの3つだけで商売が成り立つほど景気が良かったから、実演販売していると木彫りのクマなんかは彫るそばから売れていくんだわ。大きなオブジェもよく売れて、2mくらいの大きな作品や、桃の節句にクマに孫を乗せたいから作って欲しい、なんて注文もよくあってね。1体100万円もするような作品もありました。
ーすごいですね。職人さんもたくさんいらっしゃったんじゃないですか?
最盛期には120人くらいの木彫り職人とそれにまつわる関連業者がいて、一大産業として成り立っていました。粗彫りする人、細部を彫る人、毛並みを彫る人、修理をする人、色をつける業者、台を作る業者など、うちも10人ほど職人がいました。男連中が荒彫りをして、奥さんたちが毛並みを彫るなんて光景もあちこちで見られました。今、白老全体で木彫り職人は3人になってしまいました。
ー木工所から調達した木材はどうやって作品にしていくのですか?
頭の中にだいたいの下書きやイメージがあるから、まずチェーンソーで大まかな形を一気に作ってしまいます。父はマサカリで全部作っていたけど、私はそうはいかないからチェーンソーを使います。
よく使う木はさっき言った5つ(イチイ、エンジュ、キハダ、センノキ、シナノキ)。一番柔らかいのはシナノキだけれど、今はあんまり手に入らない。エンジュは一番硬いけれど、半年で表皮が変色するし難しいね。最近の作品はイチイを使っています。大まかに粗彫りしたあと、ノミや彫刻刀で細部まで彫っていきます。


ーたくさんの道具が並んでいますね。道具はどうやって手に入れているんですか?

親父の代からの道具だから年季が入ってるでしょ。数えたこともないけれど、まだまだ他にもあるんだ。手で彫ることもあるし、電動ノミを使う場合もあります。彫る部分に応じて彫刻刀を変えたりしながら、下書きも設計図もないから、とにかく頭の中のイメージを形にしていく感じだね。
彫刻刀は岐阜の関からインターネットで取り寄せたり、札幌の刃物屋に買いに行ったりします。
―こうして彫り上げたら完成ですか?
このあとは電子レンジにいれて乾燥させます。木は乾燥させないと割れちゃうけれど、自然乾燥だと作品にするまで3〜4ヶ月かかるし、その途中でヒビが入ったりする。それを防ぐために、昔は窯で乾燥させていましたけど、今は電子レンジで一気に乾燥させます。3〜4時間くらいで乾きます。
―レンジでチンをするとは驚きました。電子レンジって工芸の場でも役に立つんですね。確かに短時間で乾燥させるには最適ですよね。
鼻先などが白いクマもいますが、これはどうやって作っているんですか?


エンジュの断面。白い部分は思ったより薄く、この部分をうまくデザインに活かすのは
余程木を知っていないと難しいのでは?
これはエンジュの木の特徴で、表皮に近い部分は白くて、中の方が茶色をしているんです。その白い部分と茶色い部分をどこにどう持ってくるかを考えながら彫って、こういうデザインに仕上げています。白い部分の場所や厚みは木材それぞれ違うので、状態をよく見て、経験と勘で彫っています。
ーすごいですね。着色しているようにも見えないし、寄木でもないし、どうやっているんだろうと思ったのですが、天然の色合いなんですね。
白い部分が木材のどのあたりにどのくらいの厚みであるのか木によって異なるのに、クチバシだけとか、胸元の毛の部分だけ白く表現できるのは、熟練の技を感じます。
昔と同様に、ただ木彫りのクマを作ってもしょうがないからね。作品に変化をつけたいと思っています。このエンジュの木の表情はそれぞれ違うから、一つとして同じものができないところがいいよね。好きな色の出方をお客様には選んでお買い求めいただきたいです。

バブル期を通して、世の中の隅々まで木彫りのクマが行き届いちゃったんだろうね。そんな今、どんなクマならお買い求めいただけるか、考えないといけない。今のお客さんはとても目が肥えていますから、工夫をしないと売れない時代です。全体のバランスや毛並み、目線や足の踏ん張り方など、細かいところまで気を配らないと。
ーそもそも「木彫りのクマ」というものはいつ頃から作られているんですか?
木彫りのクマは北海道南部の八雲町が発祥と言われています。尾張徳川家当主の徳川義親が1921〜22(大正10〜11)年の欧州旅行の際に、スイスのベルンで木彫りのクマをお土産品として買って帰ってきたんです。これを真似てクマの彫刻を彫ることを農民の農閑期の収入源として奨励したことにより、木彫りのクマ作りが始まりました。また旭川でも昭和初期からアイヌの人が木彫りのクマを作るようなり、盛んに作られるようになりました。地域によってクマの形がちがうけれど、白老のクマは旭川の系統じゃないかと思うよ。
戦後は、観光ブームに乗り爆発的に人気が出て、北海道のお土産といえば「木彫りのクマ」と言われるようになりましたが、平成に入る頃になると人気に翳りが出て下火になって、今に至ります。
時代の変化もさることながら、木彫りクマが流行っている時に次のブームとなるものを見出せなかったのも一因だと思います。時代にあった商品開発を若い世代とともに考え、支えていかないといけないと考えています。
ーなるほど。時代の変化に対応する、というのは、工芸品業界共通の課題ですよね。山田さんの作られるクマも変化しているのでしょうか?

本物のクマは木彫りに比べてもっとずっと頭が小さいんです。でもそれをそのまま木彫りにしたんじゃ、迫力が出ないでしょ。だから木彫りのクマはデフォルメして、だいぶ頭を大きくしています。3頭身ぐらいだったりするでしょ? じゃないと、咥えているサケも小さくなっちゃうし、クマとサケの躍動感が伝わらないわけ。そんなふうにして昔から作られてきました。
2022年に北海道アイヌ伝統工芸展で最優秀賞を受賞した「キムンカムイ 恵みに感謝」は、そうした中でいろいろ考えて私なりに工夫した作品です。これが認められてとても嬉しかったです。キムンカムイ(山の神)と称されるヒグマが鋭い爪でサケを捉える様子と、アイヌの伝統儀式カムイノミの作法に倣い、手のひらを上に向けて恵みに感謝する様子を表現しています。

ークマを顔や体ではなく大きな手だけで表すことも、2点セットで狩りの様子と祈りを捧げる様子の両方を表現することも、とても着想がおもしろいですし、強いメッセージを感じます。
「人間どもよ、少しは自然に感謝しろ。クマだって感謝しているんだぞ」という皮肉も込めました。大切にしていかなくてはいけない想いをどうしたら表現できるか、考えた末の作品です。
アイヌ文化っていうのは質素なものだと思っています。自然の恵みに感謝して、山菜でも生き物でも自分の食べる分だけをとって感謝していただく。クマの顔や体の表現はないけれど、そこに宿した想いを感じてもらえたらいいなと思います。
ーここには様々な作品が置かれていて、ギャラリーのようですね。山田さんという一人の作家さんの作品だけでも、いろいろなクマがあるんだなぁと思います。

様々なクマの作品。上段右と下段左はお父様の作品だそう。
作り手の違い、作風の違いによって色々な表情の木彫りのクマがあることがわかります
親父の作品もあるからぜんぶ私の作品というわけではないんだけれど、バブル期のころのものから最近のものまで、いろいろ置いてあるからね。昔は大きな作品が売れたけど、いまは住宅事情に合わせて小さなものを多く作っています。
私の作品は目を大きくしたり首を傾げたり、ちょっと可愛いと言われます、私の見た目と違ってね(笑)。目はさ、目尻を吊り上げると顔立ちがキツくなるのよ。人間もそうだけど、目尻を下げると強い顔にならない。顔は優しくしないと。愛らしさと野生味のバランスが大事だと思っています。

ー山田さんのクマは最近、木ではない新しい素材にも出会ったんですよね?

私のクマを型にして、3Dプリンタで再現したUVレジン製の置き物やアクセサリーにしたり、お菓子のグミにしたりという取り組みに参加しました。木彫りのクマは手作りだから値段が高く、修学旅行生が買えるような価格帯のものはなかなか作れません。でも、この伝統的な木彫技術と最新テクノロジーを融合させた「SINKOP(シンコプ)」のクマなら、700〜1,500円前後で小学生でもお土産に手に取ることができます。
ーかわいくて、私も家族へのお土産に買いました。木彫りだとお家の雰囲気に合わないかな、という場合でも、「SINKOP(シンコプ)」のクマはデスクの上に置いたり、カラーリングが綺麗なのでファッションに合わせて身につけたりして、気軽に使えますね。グミも小さいのにしっかり「木彫り」の形をしていて感動しました。

なかなかよくできているよね。毛並みの表現とか、忠実に表されていて。こういうアイテムで気軽に若い世代に伝統工芸品に親しんでもらうことが大切だと思っています。こうした中から、文化を繋いでいってくれる世代が育っていくといいなと。自治体にも若手育成の環境を整えてもらって、技術を身につけて独り立ちするまでの期間の支援を行うように働きかけていきたいです。文化を守る制度づくりが大事ですよね。
ーこの先はどんなものを作りたいと考えていらっしゃいますか?
自分が子育てしている時なんかはさ、たくさん創作のイメージが湧いたけれど、もう湧かないのさ(笑)。若い時は売れ筋を考えながら作っていて、その中で何点か、自分でも満足のいく気に入った作品があったけれど、売り物だから手放さなきゃいけない。今思えば、ひとつぐらい残しておけば良かったなぁって思います。
お客さんあっての仕事だからこそ、お客さんと話をして、気に入ってお買い上げいただいて、喜んでいただくことが楽しみだよね。以前ハワイからきたお客さんが私のフクロウを気に入って買っていってくれたんだけどね。数年後にまた観光で北海道に来て、わざわざ会いに来てくれてさ。家にフクロウを飾っている写真を見せてくれました。あれは嬉しかったし、感動しました。それはこの仕事をやっていて良かったなぁと思うことです。
けれど、この歳になってきたら、これまでできなかった芸術性のあるものにもトライしてみたいなとは思っています。趣味で生活はできないけれど、そろそろ作ってみようかなって思います。
ーこれからも山田さんの作品をたくさん見たいです。長い時間、ありがとうございました。
<山田祐治さんプロフィール>

白老町生まれ、白老町在住。
10代から学んできた木彫りの技術で、旧アイヌ民族博物館横で民芸店を営む傍ら、道内外各所での展示や実演に精力的に参加し、アイヌ文化の普及啓発に携わる。近隣市町村でアイヌ文化実践上級講座の講師を務めるなど、後継者の指導・育成にも取り組み、技術継承に励んでいる。北海道アイヌ協会白老支部理事や白老アイヌ協会理事などに就く。
アイヌ文化奨励賞(18’)、アイヌ伝統工芸展最優秀賞(22’)、アイヌ伝統工芸展奨励賞(19’ 20’ 21’)、ほか受賞多数。「(有)やまだ民芸社」経営。
【「手わざを訪ねて」について】
当社運営のミュージアムショップでお取り扱いさせていただいている作家さん、職人さんの手仕事にふれる読みものです。ご縁があり、伝統工芸士をはじめとした作家さん、職人さんの作品を扱わせていただく中で、みなさんの想いを伝え、工芸の面白さ、美しさを一人でも多くの方に知っていただくための、ささやかな取り組みです。
当社ではこうした活動を通して、「買う人を増やす」ことを大切に考えています。後継者を増やすことはなかなか難しいですが、確かな技術に裏付けられた伝統工芸品の価値を見極められること、そしてそれに相当した対価を払うこと。その意義を理解し、伝統と技を支える購入者を増やすことは、マスコミや我々のような商品を扱わせていただく者の役割と考えています。これからも、たくさんの作家さん、職人さんのお話をご紹介し、一人でも多くの方にファンになっていただき、作品を愛していただきたいと考えています。






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